『ある一日』(いしいしんじ/新潮文庫)

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不思議な小説である。

作者であるいしいしんじ夫婦の「わが子の誕生」という実体験をもとに書かれた小説であるにもかかわらず、非現実の世界へとふと読者をさらっていってしまう。そして、また気づくと現実の世界へと引き戻されているのだ。現実と非現実、または《光》と《闇》を行ったり来たりしながら、私たちはこの夫婦の特別な一日を追体験する。

〈百年前までは辛うじて生きていた闇が、いまはもう容赦のない光を当てられ、居場所を失い、とうに息絶えてしまったかにみえる〉という現代にあって、慎二・園子夫婦が暮らす京都という土地はこの闇をまだそこかしこに残している。この街には〈突拍子もなくたのしいもの、ふっと見るとぞっとするようなものが、ごく自然に、そこらで生きている〉という。長い歴史とともにさまざまなものが堆積し、時折の風に攪拌され、街の片隅に闇として吹き溜まっているのだろう。

かつて死産を経験している二人は新たな命をこの街で授かった。その日は丁度、出産予定日だったが、定期検診で〈まだまだがっちり閉まっとるわ〉と言われる。二人はその後、寺通町のアーケードできのこが化けたおばあさんが売るまつたけを五本三千円で買い、〈予定日まで来たいうのは、お祝い事や〉〈せっかくやから贅沢しよう。焼きまったけとはもにしよう〉と、錦小路ではもを買う。二人が移動する京都の街中は時に〈街路や玄関先に、なまぬるく、潮状のものがひたひたと満ちあふれ〉る海原となり、時にきのこの群生が現れては消える森となる。〈物理法則の通用しない〉ものが平然とそこらにある環境の中で、むしろその中に心地よさを認めながら慎二・園子夫婦は子どもの誕生を待っている。凪いた風景がそこにはある。

だが深夜、陣痛がくる。二人はタクシーで産院に向かう。そこからの陣痛の凄まじさたるや! 凪いた海原が一変して時化となる。嵐の海に投げ出されたような痛みの大波と格闘する園子とその苦痛に寄り添う慎二。そしてもうひとり、〈おりてくる〉子どもの視点が加わる。子どもは慣れ親しんだへその緒と別れ、何億何万の魂からひとつを選び(つまりそれは、そのひとつ以外は選ばないという残酷な覚悟でもあるのだ)、未知の世界へと出て行く。

出産は望む者、望まぬ者、望んでも果たせぬ者等々、誰しもが経験するものではないが、それでも誕生という経験は生きている者に等しくある。〈おりてくる〉子どもの視点があることで、この小説は単なる「出産小説」ではなく、「誕生小説」となっている。だからこそ、出産への興味の有無に関係なくこの小説を手に取ってほしいと切に思うのだ。

『ある一日』(いしいしんじ/新潮文庫)

校正者/編集者。国語辞典の編集、日本語教育関連書籍の編集、ウェブコンテンツの制作を経て、現在はフリーで校正、編集、執筆のお仕事をしています。ネット古書店「書肆こいぬ」店主。長年の相棒犬、桃を見送ってから、5匹の猫と暮らしています。
書肆こいぬ : http://www.coinu.com/