『家守綺譚』──此岸と彼岸の境が曖昧になったとき

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今から100年ちょっと前の明治時代。駆け出しの物書き綿貫征四郎は、学生時代ボート事故で亡くなった親友高堂の実家の家守(いえもり)をすることになる。他所で隠居する高堂の父親からいくばくかの謝礼付きで頼まれたのだ。物書きと言えども、専業では食べていかれない。琵琶湖に近い庭付きの二階家に住んで、さらに月々の手当ももらえるのだ。時代は違えど、同じフリーランスの身としては、なんとも羨ましい話である。(私としては)さらに羨ましいことに、そこに犬が居着く。犬はゴローと名付けられ、隣家のおかみさんからは犬にかこつけて色々と食べ物の差し入れをもらう。

家守となった征四郎のもとにはいろんな”もの”がやってくる。まずは死んだ親友高堂。床の間にかかる掛け軸の、水辺の風景をボートで漕ぎ分けながらやってきた。親友と言えども幽霊の登場に、開口一番が「どうした高堂」である。いや、そこは腰を抜かして驚くところではないのか、征四郎。しかし、そんな彼だからこそ庭のサルスベリに懸想され、タヌキに化かされ、庭の池には河童が漂着し、異類の血を引く者や小鬼、はたまた聖母までもその姿を彼の前に現すのだ。

「サルスベリ」「都わすれ」「カラスウリ」「木槿(むくげ)」「萩」「南天」「セツブンソウ」「桜」等々。各章のタイトルは四季折々の植物の名前だ。とはいえ、ベニシアさん顔負けの怒涛のボタニカルライフがそこで繰り広げられるのではない。征四郎は庭の手入れすら面倒臭がってやらないのだ。いや、矯める気がないからこそ植物は征四郎を受け入れているのかもしれない。伸び放題の植物から彼は気配を感じ、季節を感じ、そしてそれらと交歓する。

本書は毎日一章ずつゆっくりと大切に読んでいきたい作品だ。ちいさなエピソードの積み重ねがやがて征四郎を水底の死者の国へと導き、とある決断を迫ることになる。自然や異界のものたちと交歓し、此岸と彼岸の境が曖昧になった征四郎を、最後にこの世に引き止めるものは何か、ぜひとも確かめてほしいのだ。きっとその言葉は読者をも奮い立たせることになるだろうから。

補記)本書の世界観が気に入った人は、続編『冬虫夏草』、征四郎の友人でトルコに留学している村田君を主人公にしたスピンオフ『村田エフェンディ滞土録』もあるので、続けて読んでみてほしい。

『家守綺譚』(梨木香歩著/新潮社)

校正者/編集者。国語辞典の編集、日本語教育関連書籍の編集、ウェブコンテンツの制作を経て、現在はフリーで校正、編集、執筆のお仕事をしています。ネット古書店「書肆こいぬ」店主。長年の相棒犬、桃を見送ってから、5匹の猫と暮らしています。
書肆こいぬ : http://www.coinu.com/