「家の中をきれいにしている嫁」像が崩れた日

そういえば、泣きながら山手通りを歩いたっけ。

お彼岸に義母用の花を買いながら、ふと4年前のことを思い出しました。今思えば、取るに足らないことなのに。

妊娠を機に夫の実家の近くに引っ越し、職場復帰を前に義父母に合い鍵を渡しました。

慣れない育児と仕事との両立にいっぱいいっぱいだったとある日、またしても職場に保育園から「お熱が出たのでお迎えにきてください」と電話がありました。その日、私は早退ができなかった。理由は忘れましたが、看病で連日休んでいたから早退しづらかった、とかそんな理由だったと思います。

夫に連絡すると迎えに行けるというので、私は定時まで仕事をし、帰宅途中で夫に電話するとなぜか彼は仕事中。聞けば、義父母に息子のお迎えを頼み、合い鍵で家に入ってもらっているという。一瞬にして、朝、あわてて家を出たときの風景──洗濯かごから溢れた洗濯物や雑然としたリビングが浮かびました。

二つ返事で孫の面倒を見てくれている義父母への感謝よりも先に、夫に対して「なんで事前に相談してくれなかったのか」「なんで散らかっている家に上がってもらったのか」と、心の中がどろどろになり、悔しいんだか、悲しんだか、怒っているんだか、その全部なのか、涙がだらだら出ました。車も人通りも多い山手通りで。

今ならわかる。
自分の優先順位が間違っていることが。

でも当時の自分にとって義父母は、実の親のようには「ダメな自分をさらけ出せない」相手だったんです。それまでは、彼らが来る直前に必死で掃除をしていようが、いつも「家の中をきれいにしている嫁」だった。彼らに「こう見られたい私」を保てていたんです。でも、夫のせいでそれが一気に崩壊した。そう思ったんです。

今ならわかる。

義父母がそんな本質的ではないことに目を向ける人たちではないことも、夫なりに私のことを考えてその選択をしてくれたことも。
スマートに、パーフェクトになんて子育てできないことも。むしろ泥臭いことの連続だってことも。

息子はもうすぐ5歳です。彼が私と義理の親との距離を一気に近づけてくれて、今では義父に頼りっぱなし。義父をおもちゃが散乱した家に、すっぴんで迎え入れるなんて日常茶飯事です。

義母がいる頃にもっと「不格好な自分」を出せばよかった。
もっと肩の力を抜いて、頼ればよかった。
もっともっと義母と子育ての話をすればよかった。

お彼岸の日は、そんなことを考えた一日でした。

写真は、義母が当時0歳だった息子のために買ってくれた一冊です。
あなたの孫は、すくすくと大きくなっています。

編集者/ライター。企業広報誌や商業誌をメインに活動。夫、未就学の息子、海水魚、金魚、カタツムリ、カブトムシ(夏期限定)と暮らしています。出産を機に、2015年から親子向け絵本ワークショップを始め、16年に保育士資格を取得しました。